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『南極』は無思想か?それとも… ー『南極』制作秘話ー

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ボウガイズの新曲MV『南極』が公開されました。

身もふたもない「南極」をテーマにした『南極』という曲をボウガイズが作るに至った経緯に関しては、全3回に渡るインタビューの中で詳細に語っていますので、ぜひそちらをご覧ください。

 

このインタビューの中で、ボウガイズは、曲の主張は受け手によって変わっていく、と言いました。

自分の言葉で置き換えると、曲の意味は、聞く人によって誤解されていく。

その意味でこのMVは、ボウガイズが作った『南極』という曲に対して、そこに自分の視点(=誤解)を加えたものになっています。

ここでは、私の視点を通じて、どうやってMVを作っていったのかを話させてもらいます。

 

■制作のはじまり

このMVのはじまりは、ボウガイズからMVを撮ってくれないかと軽く声をかけられたところから始まりました。

居酒屋で話しながらアイデアを練り、ラップをしているボウガイズ、男だけだと寂しいので、都会の街を歩いている女性をかぶせてみようというイメージがだいたい出来上がりました。

しかし巡り合わせ、『南極』MVをバクターでやると決まってから、もっとテーマ性を出し、自分にとってもある種表現のような形にしたいという気持ちが出てきました。

自分がこの曲に対して感じたことをMVという形にしてみたい、と。

 

■はじめの物語

 

南極。そしてそれに対するボウガイズのリリック。

そのリリックの中には、例えば、「お前らはなんも知らぬまま」など、どこか「南極の中にいる人間」が「南極の外の平穏な日常に生きる人々」に対して、文句を言っているという画が浮かんできました。つまり、「南極は寒く厳しく孤独な土地であり、お前らはそんな俺らのことなんもしらないだろ?」と。

 

ボウガイズはこの曲が「無思想」と言っていましたが、私は勝手にこうした「南極の思想」を感じ取りました。そして、元々女性キャストを一人想定していたので、南極/女性という組み合わせの中で、南極の基地に一人ぼっちというイメージが思い浮かびました。

さらに、それに加えて、「女性を外に出す」という動機を物語に持たせたいと考え、「南極の中にいる自分」が(出ようと思えばいつでも出れるのに)自分で勝手に南極の中にいるという設定にし、その自分を救い出すための「南極の外にいる自分」というキャラクターを作りました。

 

「南極の外にいる自分」が「南極の中にいる自分」を救い出そうとする物語。そして、最後は「南極の外にいる自分」が「南極の中にいる自分」の家につき、MVは終わる。

 

■ボウガイズを幽霊にする

 

このような物語を作ったものの、どうにも乗れない…。今思うとそれは、ボウガイズのMVなのに、ボウガイズがメインではない物語になっているという、まあ、身もふたもない原因によるものでした。

そこで思いついたのが、ボウガイズを幽霊として出現させ、女性を外に出そうとするというアイデアです。これなら、ボウガイズをメインとしてちゃんと登場させることができ、しかも物語ともリンクさせることができる。

ボウガイズは、なかなかユニークな面構えをしているので、そんなボウガイズが幽霊になるだけで、ユーモアが出て、よりボウガイズの魅力が伝わる。そう思いました。

 

■様々な解釈をもたらす『南極』

そして、ボウガイズの部屋の中での撮影を終えたとき、例のコロナが襲来し、元々想定していた外での撮影(ボウガイズがサビを歌う)が中止になってしまいました。どうしようかと思っていると、橋本ハム太郎が「ちょうどコロナで誰もいないから風景だけでも面白いんじゃない?」と提案してくれ、無人の渋谷を撮影し、現在のMVの形になりました。

 

ボウガイズはこの曲を「無思想」と言い、曲のメッセージは受け手によって変わる、と言いました。偶然コロナの襲来を受けたこの曲は、今聞くと「コロナ禍の音楽」のようにも聞こえます。「南極」という茫漠としてメタファーを持つこの曲は、他にも様々な解釈=誤解をもたらすかもしれません。

 

この曲をこれから聞く方も、すでに聞いていただいた方も、それぞれの視点でこの曲に接してみてはいかがでしょうか?